

植物が子孫を残す方法は様々だ。
鳥や昆虫を利用するものはよく知られているが、
このユリはどうやって我が家にたどり着いたのだろうか。
庭のあちこちからこのユリがニョキニョキ出てくるようになったのはほんの数年前。
たぶん風に乗ってどこからかその種子が運ばれてきたと思うのだが..
植物に関しては私もあまり自身がない。
しかしその生命力、子孫を残そうとする自然の技にはいつも感心させられる。


鉢植えのサギソウが満開だ。
今年は例年になく順調に増えたため、1枚目の画像のように一輪アップ以外の構図も狙ってみた。
昨年も触れたが、私はこのサギソウが自然の状態で咲いているところを見たことがない。
サギソウが育つ低山帯の湿原は真っ先に開発などの対象になるケースが多いので
その生息地はほんと限られた場所でしか残っていないらしい。
そしてやっと残った生息地でも心無い人たちの採集、いわゆる盗掘という行為が減少する
大きな要因になっているとのこと。
この手の話は何もサギソウに限ったことではなく、私が住んでいる箕面の市の花
“ササユリ”でも同じ話を耳にする。
何とも情けない話だ。
いつの日かこの小さな可憐な花を自然の状態で見たいものだ。
何故ならそこはサギソウだけでなく、様々な生き物達が暮らしている筈だから。

今の家に住むようになってもうじき丸10年になる。
鳥や虫達のために庭を出来るだけ自然に近い状態にしたいと思っているので、
剪定も出来るだけ自分でするようにしている。
しかし植物の生命力、成長力はすさまじいものがあり、
住み始めたころにはなかった木々があちらこちらから生えている。
その中でもナンテン、マンリョウ、クスノキ、ピラカンサなどは、
鳥たちがよそから運んできたものだろう。
しかし鳥たちにとってはおいしいご馳走でも
我々人間にとってはとても食べられるシロモノではない。
そんな中、鳥たちが運んできた木々の中で唯一我々も食べることができるのがこのグミ。
数は少ないが、毎年この時期になると写真のような赤い実をつける。
大きさもすこし小ぶりだし、味のほうもすこし酸っぱいが、
自分の手で収穫したものを食べるということはなんとなくウキウキする。
手の届かない高いところにある実はヒヨドリにでも残しておいてあげよう。

知人から頂いた鉢植えのスミレが咲き始めた。
実は現在住んでいる家の庭にも、住み始めた当初はスミレがあちこちで咲いていた。
しかし何年か経つうちにその数はどんどん少なくなってしまい、
今ではほんの数株しか残っていない。
鳥や虫達のためにと思い、庭にはあまり手をいれずにここまできたため、
後から侵入してきた他の植物に負けてしまったみたいだ。
伸びるに任せてきた庭だがそろそろ手を入れなければならないようだ。

ここにきて庭の小さな植物がそれぞれ花を咲かせている。
これはカタバミといい、庭や道端などどこにでも見られるたくましい植物で、
大きさが1センチぐらいの小さな花である。
またヤマトシジミというチョウの食草でもある。
(チョウやガの仲間の多くは幼虫が食べる植物が種類毎にほぼ決まっており、
その植物を食草という)
たとえばアゲハチョウならミカンなどの柑橘類やサンショウ、
モンシロチョウならキャベツやアブラナ科の植物(菜の花など)がそうである。

カタバミの葉を食べるヤマトシジミはまだ飛んでいないが、
その代わりその蜜を求めてアブの一種ホソヒラタアブが飛び回っていた。
葉っぱをチョウに、蜜をアブに提供したりと、
昆虫にとって花は無くてはならない存在なのがこのカタバミを見てもよくわかる。

桜の季節、上ばかりに目が行くがふと足元を見るとごらんのようなものがニョキニョキ
生えている。
最初見たときには「これなんや?」と思い、妻は一言「毒キノコちゃう?」と。
調べてみるとアミガサタケというキノコの一種で林内や庭などでも見られるとのこと。
で、なんと食べられるらしい。
けど、やはり食べる気はおこらず、我が家では毎年生えるままにしている。
でも毎年増えているような気がするなぁ。
今年も10数本は生えていた。
まぁそれだけ土が肥えているということにしておこう。

今日はあいにくの雨。
庭の桜は花を散らし始めている。
もうすぐ桜も終わりか...
1週間前にはしょっちゅう花の蜜を吸いにやってきていたメジロやヒヨドリも
パタっと姿を見せなくなった。
ほんとよくわかるもんだ。
ちなみにこのカットは昨年撮ったもの。


今年の紅葉は遅れているみたいだが、庭の草花はすっかり秋の装いに変わっている。
傍からみれば延びるに任せている我が家の庭だが、たくましい草花たちが
季節ごとに目を楽しませてくれる。
上はヨメナ、下はホトトギスでどちらも秋の花で、過ぎ行く秋を知らせてくれる花でもある。


